「ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン」発売記念インタビュー 第3回「スーパーメトロイド篇」

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みなさん、こんにちは! 京都在住ライターの左尾昭典です。
「ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン」(略して「ミニスーファミ」)の発売を記念してのインタビュー。
第3回のテーマは『スーパーメトロイド』です。

1986年のファミコン版、1992年のゲームボーイ版に続き、3作目の『スーパーメトロイド』が登場したのは、スーパーファミコンの発売から3年4か月後のことでした。開発に時間がかかったのはどうしてなのか、そもそもの開発のキッカケは何だったのか、『メトロイド』の生みの親で、シリーズにずっと関わり続けている坂本賀勇さんと、『メトロイド』サウンドを確立させた山本健誌さんから話を聞いてみることにしました。

なお、坂本さんは、「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」の発売記念インタビューで、初代『メトロイド』について語っていますので、併せてお読みくださいね。

それでは、坂本さん、山本さん、よろしくお願いいたします。

第3回

スーパーメトロイド篇

「『メトロイド』をつくってや」

山本さんは、『スーパーメトロイド』のサウンドを担当する以前は、どのようなタイトルに関わってきたんですか?

山本

僕が入社したのは1987年だったんですけど・・・。

坂本さんの5年あとの入社なんですね。

坂本

そうですね。

山本

最初は、ファミコンの『パンチアウト!!』(※1)のサウンドを担当しまして、そのあとに『ファミコンウォーズ』(※2)、そしてディスクシステムの『ファミコン探偵倶楽部 PARTⅡ うしろに立つ少女』(※3)などに関わってきました。

※1 『パンチアウト!!』=『マイクタイソン・パンチアウト!!』。アーケードゲームで登場した後に、1987年11月にファミコン用ソフトとして発売されたスポーツアクションゲーム。

※2 『ファミコンウォーズ』=1988年8月に、ファミコン用ソフトとして発売された戦略シミュレーションゲーム。

※3 『ファミコン探偵倶楽部 PARTⅡ うしろに立つ少女』=1989年5月に、ファミコンディスクシステム用ソフトとして発売されたアドベンチャーゲーム。

スーパーファミコンではどんなタイトルに?

山本

『スーパースコープ6』(※4)です。

バズーカ砲みたいな光線銃で遊ぶゲームですね(笑)。

※4 『スーパースコープ6』=1993年6月に、スーパーファミコン用ソフトとして発売されたシューティングゲーム。スーパースコープが同梱されていた。

山本

はい(笑)。で、そのあとに関わることになったのが、『スーパーメトロイド』だったんです。

なるほど。ところで坂本さん、『スーパーメトロイド』の開発は、いつごろからはじまったんですか?

坂本

1991年の秋頃だったと思います。

スーパーファミコンの発売から、すでに1年くらい経ってますけど、何がキッカケで開発をはじめることになったんですか?

坂本

もともと僕自身が「つくりたい」と言ったわけではないんです。当時の上司の加納(誠)さん(※5)・・・すでに定年退職されていますので、「さんづけ」で呼ばせていただきますけど、その加納さんが「坂本くん、スーパーファミコンで『メトロイド』をつくってや。僕がそのための環境づくりをするから、絶対にやるべきや」とおっしゃったんです。

※5 加納誠さん=任天堂在職中に、ゲーム&ウオッチのキャラクターデザインを手がけたほか、『ワイルドガンマン』や『カエルの為に鐘が鳴る』など、数多くのゲーム制作に関わる。社長が訊く「ゲーム&ウオッチ」にも登場。

それで、加納さんがプロデューサーだったんですね。で、坂本さんはすぐに「やりましょう」と答えたんですか?

坂本

僕も「やるべきや」と思いました。というのも、『スーパーメトロイド』の開発に入る前に、NOA(Nintendo of America)の本社があるシアトルに出張しまして、そのときに向こうのスタッフがショッピングモールに案内してくれたんですけど、お店に入るたびに、僕のことを紹介してくれたんですね。「この人が『メトロイド』をつくったんだよ」って(笑)。

はい(笑)。

坂本

すると、みんながみんな『メトロイド』のことを知っていたんです。ゲームに馴染みがなさそうなブティックのお姉さんまでもが、派手なリアクションで「ワオ!」と驚いてくれて・・・。

それほどまでに『メトロイド』の人気が高いんだから、「やるべきや」と思ったんですね。

坂本

そうです。それは加納さんも同じ想いだったはずで、だからこそ「やるべきや」と言ってくれたんだと思います。

「映像作品と言ってもらえるようなものを」

で、『スーパーメトロイド』をつくることになって、スーパーファミコンというハードに向き合ったとき、坂本さんはどんなふうに感じましたか?

坂本

ファミコンとはぜんぜん違うぞ、と思いました。ファミコンのときは、表現できることが単純だったんです。でも、スーパーファミコンでは、事前によく考えて、きっちり設計しないと、できることもできなくなるんです。

できなくなる、というのは、例えばどんなことですか?

坂本

例えばある程度、開発が進んでから、いきなりプログラマーに対して「ここをぐるぐる回してね」と言っても、「もうそれは無理ですよ」という話になるんですね。もともと自分は、技術に詳しくないというか、むしろ疎いというか・・・。

え、そうなんですか?

坂本

自分はもともとデザイナーで入社しましたし、当時の上司だった横井(軍平)さん(※6)が「デザイナーは技術なんか知らんでもいい。そんなん知ったら、やる前から『できません』と言うようになるからアカン」っていつも言ってたんです(笑)。

※6 横井軍平さん=任天堂在職中にゲーム&ウオッチやゲームボーイなどのゲーム機のほか、ファミリーコンピュータロボットや『Dr.マリオ』などの開発を中心となって手がける。故人。

きっと、生半可な知識を持つくらいなら、知らないほうがいい、ということなんでしょうね。

坂本

そうですね。でも、スーパーファミコンでものをつくろうとしたとき、それではダメだと思ったんですね。プログラマーに対して指示をするための知識を持つことはもちろん、何よりビジョンをしっかり持っておかないと、しっかり向き合えないハードだな、ということをすごく感じたんです。

開発がはじまってから、発売までに2年半くらいかかっていますけど・・・。

坂本

ですから、最初の1年くらいは、そのような研究期間が必要だったんです。

なるほど。で、『スーパーメトロイド』で目指したもののひとつが「映画的な演出」だったんですよね?

坂本

そうですね。映像作品と言ってもらえるようなものをつくりたい、という気持ちがすごくありました。

その映像的な演出は、オープニングからすごく感じられるようになっていますよね。

坂本

はい。例えば文字の表示のさせかたとか、カメラが移動していくと、床に横たわっている研究員が映るようにしたり、「ピィーピィー」と鳴いてる声の正体はベビーメトロイドだった、という演出は、かなりこだわってつくりました。実はあのシーンは、前もってイメージビデオをつくったんです、VHSを使って。

家庭用ビデオのVHSを使ったんですね。

坂本

でも、どうやって編集したのか、よく覚えてないんですけどね(笑)。映画的な演出については、他にもいろいろあるんですけど、「これをやって大丈夫かな」と最後まで迷っていたことがあるんです。

それはどんなことですか?

坂本

ラスボスとの戦闘中に、サムスのエネルギーがゼロになって、しばらくの間、プレイヤーは操作ができなくなってしまうでしょう。

はい。だから「どうしたらいいの?」と思っちゃいますよね(笑)。

坂本

周りに聞いてみると、「ゲームとしては、操作をできなくするのはアカンでしょう」という人もいたんですけど、そこはどうしてもやりたかったんです。絶体絶命のピンチになって「どうしたらいいの?」と思ってるところに、ベビーメトロイドが助けにやってくる、という映画的なシーンをどうしても入れたかったんです。

感動的なシーンになっていますよね。

坂本

ええ。だから結果としては、それをやってよかったなあと思いました。

ベビーメトロイドの鳴き声をめぐって

では、山本さんにお聞きします。ファミコンからスーパーファミコンになって、サウンド面ではどんなところが大きく変わりましたか?

山本

ファミコンはPSG音源3音とノイズの計4音の発音だったので、いわゆるファミコンサウンドしか出せなかったんです。でも、スーパーファミコンになると、録音した音色が8音同時に使える音源になったので、格段にサウンドの表現力が豊かになったんですね。

『スーパーメトロイド』のサウンドをつくるにあたっては、どのようなことを考えたんですか?

山本

当時の技術視点での話しになりますが、新しいチャレンジをしようと思いました。『スーパーメトロイド』の世界をリアルに描写するためには、表現力の豊かな音色だとかが必要だと思ったんですね。

なかには女性のコーラスのような曲も入ってますよね。

山本

そうですね。スーパーファミコンハードの性能をギリギリまで使って、サウンドチップに音のデータを送り込むプログラミングが完成できたおかげで、女性コーラスなど当時のゲーム音ではあまり聴けなかった音色を鳴らせるようになったんです。

なるほど。だからサウンドからも、映画的な雰囲気が感じられるようになっているんですね。ところで、坂本さんと一緒に仕事をするにあたっては、どんなことを意識していたんですか?

山本

坂本は、サウンドそのものだけでなく、音を出すタイミングや間の取りかたなんかにも、すごくこだわりがある人なんです。『スーパーメトロイド』の前に、『ファミコン探偵倶楽部』で一緒に仕事をしたんですけど、ラストでカミナリが鳴るシーンがありまして、「カミナリの音にはものすごくこだわってくれ」と言われて・・・坂本さん、覚えてます?

坂本

もちろん(笑)。

山本

だから必死になって、「バシバシバリッ!」って、ノイズ音を使ってカミナリの音をプログラミングしたんですね。で、それから5年くらい経って、その経験が役に立つときが来るんです(笑)。

と、言いますと?

山本

『スーパーメトロイド』の最初のほうで、サムスが降り立ったクレテリアではカミナリが鳴るようになっていまして・・・。

カミナリの音なら任せて、みたいな(笑)。

山本

ええ(笑)。当時としては、小容量でリアルな音が出せたかなあと思っています。あと、坂本はベビーメトロイドの声にも、ものすごくこだわっていたんです。

坂本

なんか、こだわりの多い人やなあ(笑)。

あははは(笑)。

山本

「ここでのベビーメトロイドはこんな気持ちになってるんやから、その感情が伝わるような鳴き声にしてくれ」というオーダーがあったりしたんですよね。

坂本

たとえば、ベビーメトロイドがサムスに襲いかかったあとで、それが母親だと思っている存在だと気づいたときには、不安そうに「ピィーピィー」と鳴くでしょうし、撃たれたときは、苦しそうに「ピィーーーー」って鳴くでしょうし、同じ「ピィピィ」でも、それぞれの状況で変化する感情が伝わるようにしてほしいと思ったんですね。

山本

だから、ベビーメトロイドの鳴き声を必死でつくっていた記憶があるんです。先日、3DSの『メトロイド サムスリターンズ(※7)をつくるのに、『スーパーメトロイド』のデータを引っ張り出してチェックをしてみたら、ベビーメトロイドの声は3種類あったんですけど、いま聞き直しても、「ああ、感情表現がうまくできてるなあ」と思いました。

※7 『メトロイド サムスリターンズ』=2017年9月15日に、ニンテンドー3DSで発売された横スクロールアクションゲーム。1992年に発売されたゲームボーイ版のリメイク作品。

スーファミ時代の自分をほめたくなったんですね(笑)。

山本

はい(笑)。

「今日は、昨日よりもいいものをつくろう」

ところで、十数年前にゲーム雑誌のインタビューで、山本さんからお聞きしたんですけど、オープニングの曲は、仕事帰りのバイクに乗っていたときに思い浮かんだ、という話でしたよね。

山本

はいはい。あのときのことは、いまでもよく覚えていて・・・もっと詳しい状況をお話ししましょうか?

ぜひお願いします。

山本

当時は、効果音をつくらなきゃいけない、BGMをつくらなきゃいけない、プログラムを組まなきゃいけない、でもスケジュールはキツイし、ということで、すごくキビシイ毎日が続いていたんです。そんな状況のなかで、帰宅途中にバイクに乗った時間というのは、唯一、頭のなかを空っぽにできる・・・。

無の境地になれる時間だったんですね。

山本

そうです。それで、家に向かってバイクを走らせていると、いきなり・・・(目を大きく見開いて)「ああっ!」って(笑)。

サウンドが降ってきたんですか?(笑)

山本

そうなんです。そこで、近くの駐車場にバイクを駐めて、ヘルメットをバッと脱いで、レコーダーを取り出してから、頭に浮かんだメロディを録音したんです。10分か20分くらいかけて、大声で歌いながら・・・。

坂本

アブナイ人やな(笑)。

山本

「なんか俺、変な人に思われてるかも?」と思いながら・・・(笑)。

あははは(笑)。

山本

で、それで録った音を、翌日会社でデータ化して、坂本に聴いてもらったんですけど、「ええやん」と言ってくれたんですよね。

坂本

あの曲はいまでもええなあと思いますね。

ところでいま、「すごくキビシイ毎日が続いていた」という話がありましたけど、開発の終盤はかなりのハードワークだったようですね。

坂本

それはそれは大変でした(笑)。

山本

ホントに大変でしたよね。あの当時は仮眠室があって、そこに布団をたくさん並べて、スタッフが代わる代わる寝てたりしていましたし・・・。

坂本

しかも、いつ寝たのかもわからない状態で・・・。

山本

それに、クリスマスの夜ももちろん仕事をしていて、坂本と一緒に夜食を食べていたら、テレビのニュースで、クリスマスを楽しそうに過ごす人たちの様子が流れたんです。そのとき「なんで僕らは・・・」って思いましたしね。

坂本

山本は、テレビに向かって怒ってたんですよ。ニュースに映った年末のスキー旅行に行く人たちにも怒ってたし(笑)。

テレビに八つ当たりしてたんですね(笑)。

坂本

正月も2日から出社していましたしね。すると、会社の近所の食堂がどこも閉まっていたんです。

正月休みで、お店を閉めていたんですね。

坂本

それで、プロデューサーの加納さんが弁当の買い出しに行ってくれたんです。

ちなみに開発スタッフは何人いたんですか?

坂本

17人です。

スーパーファミコンの開発としては、けっこう大所帯ですね。で、加納さんはメンバー全員の弁当を買ってきたんですか?

山本

そうなんです。なので、すごくありがたかったですね。

でも、正月2日から出社しないといけないくらいハードワークになったのは、スケジュール的に問題があったりしたんですか?

坂本

もちろん、いつまでに売りたい、ということは決まっていたんですけど、それだけではなく、スタッフみんなに「もっとよくしたい」という気持ちが強くて、妥協がなかったんです。

山本

本当にそうでしたね。「今日は、昨日よりもいいものをつくろう」という感じだったんですよね、毎日毎日が。

だから、上司からの指示で、無理仕事をさせられたわけではなく・・・。

坂本

その逆です。横井さんからは、「芸術品やないのに、いつまでやってんのか」と言われていましたしね。

横井さんからそこまで言われるほど、夢中になってつくっていたんですね。

山本

本当に夢中でやっていましたね。

涙がどばーっと出てきて・・・

さて、そのように夢中になって取り組んでいた開発も、マスターアップの日がやってくるわけですよね?

山本

終わりはずーっと見えなかったんです。ところがある日突然、加納さんが、「これでマスターアップ。終わり! 終わり!」と大声で叫んだんです。で、「終わり」と言われたときに、自分は呆然としてしまって、そのあとに涙がどばーっと出てきて・・・。

それは・・・?

山本

例えば、試合に負けた高校野球の球児たちは、甲子園の土を袋に入れながら泣くじゃないですか。たぶん、それに近い寂しさがあったんだと思います。

とてもしんどいけど、毎日がすごく充実していたので、それが終わることの寂しさみたいな・・・。

山本

そうですね。

坂本

だから、僕は「やりきったなあ」という手ごたえを感じたんです。みんなが本当にがんばってくれて、いいものができたと、すごく満足していましたね。

さて、そのように「今日は、昨日よりもいいものをつくろう」と、2年半もかけてつくられた『スーパーメトロイド』を、ミニスーファミでどんなふうに遊んでほしいですか?

坂本

ちょっとその前に・・・。

はい?

坂本

ミニスーファミの前に、3DSで『メトロイド サムスリターンズ』が出ますけど、そのことについてもちょっと語っておきたいなあと思いまして。

ぜひお願いします。

坂本

『サムスリターンズ』は、ゲームボーイで発売されたシリーズ2作目の『メトロイド』のリメイク版なんですけど、音楽は山本にやってもらって、僕はプロデューサーの立場で関わりました。

スペインの制作会社との共同開発なんだそうですね。

坂本

そうです。スタッフのみなさんは『スーパーメトロイド』のことが大好きな人ばかりで、メトロイドの理解度が半端なかったので、とてもスムーズに開発を進めることができましたし、その結果、すごくいいリメイク作ができました。僕はこれまで、『スーパーメトロイド』も含めて、シリーズを通じて100パーセントクリアをやったことがないんです。ところが、今回の『サムスリターンズ』では、初めて100パーセントクリア達成したんですよ。それくらい夢中に遊べるソフトですので、ぜひオススメしたいですね。

『サムスリターンズ』は、日米欧同時発売なんですよね。

坂本

そうなんです。なので、まず『サムスリターンズ』を遊んでいただいて、ミニスーファミを触っていただくキッカケになれば、すごくありがたいですね。

山本さん、『スーパーメトロイド』でオススメなところはどこになりますか?

山本

ちょっと細かい話になるんですけど、ラスボスのマザーブレインを倒したあと、サムスが脱出しますよね。で、惑星が爆発してしまうので、本当はすぐに逃げないといけないんですけど、あるところに行ったら、ダチョラとエテコーンがいて・・・。

坂本

ダチョラとエテコーンは、サムスに新しいワザを教えてくれる宇宙動物なんですけど、あるところに避難しているんです。

その2匹を助けると、確かエンディングが変わるんですよね?

坂本

エンディングが変わる、というよりも、惑星が爆発して、サムスが危機一髪で脱出するんですけど、そのときに、その脇を・・・。

山本

ダチョラとエテコーンが逃げていくんです。

坂本

1ドットくらいの光が、ピューっと(笑)。

あははは(笑)。1ドットの光で助けられたことがわかるんですね。

坂本

自分でも助けてみたんですけど、ほとんど見えないくらい小さな点なんですけどね(笑)。

それは、昔のブラウン管テレビだったから・・・?

坂本

あ、そうですね。いまの高画質のテレビだったら、くっきり見えるでしょうし、ぜひ自分の目で確かめてほしいですね。

山本

それに、かつて『スーパーメトロイド』を遊んだ人でも、もしこのことを知らなかったら、再びチャレンジして、ぜひダチョラとエテコーンを助けてあげてほしいなと思っています。

(第4回は『スーパーマリオカート』です。お楽しみに)

© 1994 Nintendo

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