「ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン」発売記念インタビュー 第6回「星のカービィ スーパーデラックス篇」

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みなさん、こんにちは! 京都在住ライターの左尾昭典です。
「ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン」(略して「ミニスーファミ」)の発売を記念してのインタビューも、ついに最終回。
今回のテーマは『星のカービィ スーパーデラックス』です。

最後に登場するのは、『大乱闘スマッシュブラザーズ』の開発者としてもおなじみの、桜井政博さんです。桜井さんは、ピンク色のかわいいカービィの生みの親でもありますが、NINTENDO64が登場する3か月前に発売された『星のカービィ スーパーデラックス』は、氏にとっては3作目のタイトル。開発のポイントは何だったのか、そこにはどんな苦労があったのかなど、いろいろとお聞きしようと思います。

それでは、桜井さん、よろしくお願いいたします。

第6回

星のカービィ スーパーデラックス篇

ハードの最後のほうで出たタイトル

『星のカービィ』25周年、おめでとうございます。

桜井

ありがとうございます。

25周年を迎えて、どんなお気持ちですか?

桜井

そりゃあ、歳をとるなあと(笑)。

桜井さんの見た目も若いですし、そんなに歳をとったようには見えませんけどね。

桜井

私がこどもの頃に『ど根性ガエル』(※1)というアニメがありまして、町田先生というすごく歳をとった男の人が出ていたんです。で、彼の口癖が「教師生活25年」だったんですね。ああ、自分もそこまで来ちゃったのかと(笑)。



※1 『ど根性ガエル』=1970年から6年間にわたり「週刊少年ジャンプ」に連載されたマンガで、テレビアニメも放送された。作者は吉沢やすみ氏。

あははは(笑)。さて、今回のテーマである『スーパーデラックス』は、ディレクター作品としては3作目になるわけですね。

桜井

そうですね。

で、ちょっと意外に思ったのは、2作目の『夢の泉の物語』(※2)が、スーパーファミコンではなく、ファミコンで出たことなんです。

※2 『夢の泉の物語』=『星のカービィ 夢の泉の物語』。1993年3月に、ファミコン用ソフトとして発売されたアクションゲーム。

桜井

はい。

『夢の泉の物語』が発売されたのは1993年でしたから、スーパーファミコンが出てから3年も経ってるんですよね。

桜井

ファミコンはとても息の長いハードでしたからね。そもそもファミコンで『星のカービィ』をつくるように指示された意図は、ゲームボーイ版をそのままファミコンに移植する、というものだったのだろうと思います。ただ、ゲームボーイ版はあくまで初心者向けにつくっていて、それはそれでよかったんですけど、ハード末期になっているファミコンのお客さんのほとんどは、すでにゲームの初心者ではないと考えました。

そうですね。だから、初心者用につくられた初代『カービィ』を、ファミコンでそのまま出すわけにはいかないと。

桜井

ええ。そのまま移植するのはやめて、コピー能力(※3)をつけることにしたんです。その能力があることで、初心者は吸って、吐いてをするだけでも楽しめますし、上級者は、もっとマニアックな能力を使ってプレイできるようにしようと考えたんですね。

※3 コピー能力=敵を吸い込むことで、敵の能力を使えるようになるカービィの特技のこと。

つまり、ゲームボーイ版をベースにしつつも、コピー能力を足したり・・・。

桜井

正直、あまりベースにもならなかったんです。カービィのドット絵なんかは、共通で設定できるにしても、容量にしても、できることにしても、ファミコンになってすごく幅が拡がりましたからね。

なるほど。で、3作目の『スーパーデラックス』が登場したのが1996年のことで、NINTENDO64の発売直前でしたよね。

桜井

そうですね。そもそも、クラシックミニのファミコンに入っている『夢の泉の物語』もそうですし、今回のミニスーファミに入っている『スーパーデラックス』もそうなんですけど、どちらとも収録タイトルのなかでは最後のほうで出てるんですよね。ただ、ミニスーファミには『スターフォックス2』(※4)があるから、最後のタイトルになるのは免れた、みたいな(笑)。

※4 『スターフォックス2』=スーパーファミコンで発売予定だった幻のソフト。ミニスーファミに収録されており、発売記念インタビュー第1回「スターフォックス1+2篇」も参照のこと。

いや、『スターフォックス2』は未発売ですから、最後とは言わないでしょう(笑)。

桜井

でしょうか(笑)。そもそも、ファミコン版もスーパーファミコン版も、開発が遅れた、というよりは、つくった時期が最初から遅かったんです。

つまり会社の開発スケジュールの都合で、発売がハード末期になってしまったと・・・。

桜井

そうですね。

それにしても順番がいいですよね。1作目がゲームボーイ、2作目はファミコン、そして3作目はスーパーファミコンというのが・・・そんな経験をした開発者は世界的にもまれだと思いますし、つくり手として、とてもいいステップを踏んでいったんじゃないでしょうか?

桜井

そうですね。それは本当にラッキーでしたね。

「2人同時プレイを実現してほしい」

それでは『スーパーデラックス』の話に入ります。そもそも桜井さんは、最初はどういうものにしようと考えていたんですか?

桜井

当時、3つの柱を考えていました。ひとつは「2人同時プレイ」、もうひとつは「格闘風アクション」、そして、最後のひとつが「オムニバス」なのですが、その3つについて説明をしてもいいですか?

はい、お願いします。

桜井

いちばん最初の「2人同時プレイ」というのは、任天堂の宮本(茂)さんからいただいた、ほぼ唯一と言っていいくらいのリクエストだったんです。

その話は「社長が訊く」(※5)で聞きました。宮本さんが「『カービィ』で2人同時プレイを実現してほしい」と言ったという話ですよね。そのリクエストがあったのは、『スーパーデラックス』の開発の途中だったんですか?

※5 「社長が訊く」=社長が訊く『スーパーマリオギャラクシー』を参照のこと。

桜井

いえ、最初です。最初じゃないと「2人同時プレイ」なんて、実装することはできませんので。

最初というと、『スーパーデラックス』の企画書を持っていったタイミングで?

桜井

いや、企画書のさらに前です。スーパーファミコンで『カービィ』をつくることになりまして、当然キャラクターは大きくしますし、グラフィックもキレイにすることは決まっていたものの、ゲームの核をどうするのか、という本質的な部分は、とりあえず宮本さんの話を聞いてから考えよう、ということになっていたんです。

それで、岩田(聡)さん(※6)と京都に行ったんですね。

※6 岩田聡=任天堂前社長。故人。ハル研究所の社長時代に、プログラマーとして『MOTHER2』の開発にも参加。

桜井

はい。そのときに宮本さんが、横スクロールアクションゲームにおける課題のひとつである2人同時プレイをぜひ実現してほしいと・・・。

『マリオ』はWii版で実現(※7)することになりますけど、そもそも宮本さんにとっては、2人同時プレイは永年の夢だったんですよね。

※7 『マリオ』はWii版で実現=2009年12月に発売された『New スーパーマリオブラザーズ Wii』のこと。

桜井

そうです。動きの速いマリオでは実現不可能だから、もうちょい遅いカービィだったら、何とかなるんじゃないか、というのが、当時の言われかたでした。

当時の言われかた、というのは?

桜井

カービィが遅いというのはそもそも誤解で、速度のギャップがものすごく激しいキャラクターなんです。『夢の泉の物語』では、ホイール能力とかつくっちゃいましたしね(笑)。

ホイールカービィになると、猛スピードで駆け抜けることができますからね(笑)。

桜井

だから、いろんな遊びかたができることを大前提にしたコピー能力が、自分の首を絞めたような感じだったんですよね(笑)。

すると、宮本さんから「『カービィ』を2人用で」と言われたとき、けっこう頭をかかえたんですか?

桜井

いや、とにかく考えてみようと。

前向きに考えてみることにしたんですね。

桜井

そりゃあ、そう思いますよね。カービィはやっぱりマリオとは違うわけですし・・・。それで結果として思いついたのが、主役・脇役を分けるシステムだったんです。主役をカメラのなかにとらえていて、脇役はカメラから自由に動けるようにしようと。

つまり、2人用といっても、対等ではなく、主役・脇役の関係から、まず考えたんですね。

桜井

そうです。それをカービィらしくするにはどうすればいいのか、そもそも2人目って何だ? ということを想像したときに、コピー能力をそのまんま使えるようにしてしまえばいいと・・・。

それで脇役は、コピーした敵の姿になれるようにしたんですね。

桜井

はい。その結果、敵をそのまんま味方にする「ヘルパーシステム」ができたんですね。それに、そのように主役と脇役を分けてよかったと思えたのは、上級者と初心者が一緒に遊べるようになった、ということなんです。

なるほど。

桜井

で、このゲームでは、敵からの攻撃に対して、ガードをわりと強くしているんです。身を守るだけでなく、わりとどんな攻撃も耐えちゃう感じになっているんですね。だから、「とにかく身を固めていれば大丈夫だから、その間、俺ががんばるよ」みたいに・・・。

上級者が初心者を励ましながら遊ぶこともできるんですね。

桜井

はい。だから、それまでの『カービィ』では楽しめなかった人も、遊べるものになったのかなあと思いました。

つまり、宮本さんのお題に応えてよかったと。

桜井

そうですね。

「格闘風アクション」と「オムニバス」

2つめの「格闘風アクション」については?

桜井

それまでの『カービィ』は、カッター能力だったらカッターを投げる、ファイアだったら火を噴く、そしてザコ敵は一発でやられる、という感じのつくりになっていたんです。でも『スーパーデラックス』では、ザコ敵であっても耐久力を持たせるようにして、何度か叩かないと倒せないようにしました。

それはどうしてなんですか?

桜井

2人同時プレイをしたときに、物足りないと思ったからです。主役の人がカッターをポンポン投げるだけで、敵がどんどんやられていくのを、脇役がただ見ているだけというのは。

つまり、脇役の人がやることがなくなってしまうんですね。

桜井

そうなんです。それともうひとつ、コピー能力をより拡げるためには、いくつか複数のアクションができるようにしたほうがいいだろうと考えました。格闘アクション系のゲームで、ボタンを連打するだけで、パンチ、パンチ、フック、アッパーみたいに、ワザがどんどん切り替わっていくものがありますよね。

はい。

桜井

『スーパーデラックス』でも、ひとつの能力に対して、いろいろなワザが使えるようにして、それで多彩に見せる、ということも、コンセプトのひとつにしました。

だから、格闘“風”アクションということなんですね。

桜井

そうですね。

で、3つめの柱の「オムニバス」というのは、複数のストーリーが1本で楽しめる、という意味ですよね?

桜井

はい。やっぱりスーパーファミコンのゲームとなると、オチがつくまでが長い、というのがあったんです。それ以前のファミコンの大作もそうでしたけど・・・。

長時間遊んでも、なかなかエンディングにたどり着けなかったりとか・・・。

桜井

やっぱり当時は、高いお金を払って買っていただく商品ですから、プレイ時間の長さとか、マップの広さとかを自慢するようになっていて、とにかく“重厚長大”にすることが、ひとつの価値観になっていたんですね。

そういう風潮に対するアンチテーゼとして、『スーパーデラックス』をつくろうとしたんですね。

桜井

はい。そこで『スーパーデラックス』では、短いオチをつける、ということをまず考えました。それがオムニバスの元になるんですが、それぞれのシナリオで、ちゃんと違う遊びを提供しよう、ということも考えていました。

その結果、7種類のメインのゲームと、2つのサブゲームを入れたんですね。

桜井

メインシナリオという意味では、本当は6つになるんですけどね。「格闘王への道」はオマケですので、実質は6つプラス1なんです。

なるほど。で、最初に遊べる「はるかぜとともに」って、タイトルがすごく秀逸ですよね。これって、ゲームボーイ版から来てるんですよね?

桜井

そうですね。ゲームボーイ版のいちばん最初のストーリーのところに、「はるかぜとともに、現れた若者」というのがあって、初代『カービィ』を元にしたゲームだから、「はるかぜとともに」というタイトルにしました。それに、最初のゲームだから「まだやさしいですよ」という雰囲気を出したかったんですね。

たしかにやさしそうに感じられるタイトルです。

桜井

そもそも、この「はるかぜとともに」では、コピー能力が使えるじゃないですか。でも、本当は使えない予定でした。

なぜ使えないようにしようとしたんですか?

桜井

超初心者のために、とりあえず初代『カービィ』のゲーム性をなぞって、「こうやって遊ぶんだよ」というようなことをまずお見せして、次に進んでほしいと思ったんですね。

「チェストーーーーッ!」

「はるかぜとともに」もそうですが、「かち割りメガトンパンチ」とか「刹那の見斬り」など、桜井さんの命名の仕方がすごく独特で、かつツボにはまっているなあと思いました。

桜井

ありがとうございます。ちなみに「刹那の見斬り」の題字は私が書いたんです。

そうなんですね。

桜井

まず筆ペンで書いて、それをパソコンに取り込んでからドットにしました。

そう言えば、ゲームのなかには、桜井さんの声も入ってるんですよね。

桜井

ええ(笑)。マイクカービィで「チェスト!」って言うじゃないですか。

はい。

桜井

それを音楽ルームに入って録音したんです。そのときに、ちょっとだけ窓が開いたんですけど、思いっきり「チェストーーーーッ!」って叫んだら、遠くにいる人が、くるっとこっちに向いたんです。

くるっとこっちを(笑)。社内の人が、「桜井さん、どうしたの?」という感じで?

桜井

いや、ぜんぜん関係ない人です。畑を耕してる人でした。

あははは(笑)。会社の窓から畑が見えていたんですね。

桜井

そうなんです(笑)。

ちなみに、『スーパーデラックス』の開発期間はどれくらいだったんですか?

桜井

およそ3年だと思います。

3年も・・・それってスーパーファミコンの時代では長いほうですよね?

桜井

そうですね・・・開発期間が長くなった理由はいろいろあるんですけど、そのひとつが『スーパードンキーコング』(※8)の登場による、CG手法の導入があります。

※8 『スーパードンキーコング』=ミニスーファミにも収録されているアクションゲーム。1994年11月発売。

今回のミニスーファミインタビューの『ヨッシーアイランド』(※9)のときにも、その話が出ました。『スーパードンキーコング』のグラフィックに衝撃を受けた、ということだったんですが、それは桜井さんのほうにも影響があった、ということなんですね。

※9 『ヨッシーアイランド』=ミニスーファミにも収録されているアクションゲーム。1995年8月発売。

桜井

そうなんです。開発の中期だったんですけど、CGを導入することが決まりまして、それまでにつくっていた絵を捨てちゃったりしたんです。

ああ、そうだったんですね。

桜井

もちろん、「やりません」と言うこともできたんですけど、自分ではCGによるメリットというのは必ず生まれると思っていましたので、「やらされた」という気持ちはぜんぜんなくって、逆に渡りに舟だとも感じていました。

なるほど。

桜井

それともうひとつ話題が。先ほどメインのシナリオが6つプラス1あると言いましたけど、企画書の段階では7つプラス1だったんです。

なんと! それはどんなゲームだったんですか?

桜井

「陽炎の館」という、従来のカービィとはイメージをガラリと変えたホラー調のゲームです。カービィがある館に放り込まれると、呪いで口を封じられるという・・・。

するとコピーができなくなる?

桜井

そうです。吸えないし、吐けないので、コピー能力が使えなくなるんです。そこで館のなかを歩き回って、たとえばろうそくからコピー能力のファイアを手に入れたりしながら、先に進むという、なんとなくパズル要素のある、ホラーアクション、というゲームを予定していたんです。

その「陽炎の館」はどうなっちゃったんですか?

桜井

残念ながら、最初から入れられませんでした。他のものをつくるだけで、精一杯でしたから。

「中身がすごく豪華です」

そうやって長い時間をかけてつくられた『スーパーデラックス』ですけど、タイトルはすんなり決まったんですか?

桜井

最初の頃は『星のカービィ アクティブ』という開発名称だったんです。

「アクティブ」ですか?

桜井

つまり「能動的な」「より行動的な」という意味で「アクティブ」と仮に呼んでいたんです。で、正式なタイトルを決めるにあたり、糸井重里さん(※10)に絡んでいただくことになったんですね。

『MOTHER2』(※11)をつくった糸井さんが・・・。

※10 糸井重里さん=コピーライターやエッセイストなど、多分野で活躍する一方、『MOTHER』シリーズや『糸井重里のバス釣りNo.1』などのゲームを開発。現在は株式会社ほぼ日の代表取締役でもある。

※11 『MOTHER2』=『MOTHER2 ギークの逆襲』。1994年8月に、スーパーファミコンソフトとして発売されたロールプレイングゲーム。

桜井

そこで「中身がすごく豪華です」ということを、ストレートに表そうということになりまして、『スーパーデラックス』というタイトルに決まったんですけど、実はパッケージデザインもそうで・・・。

パッケージって、桐箱に焼き印を押したようなデザインになっていて、お店ではすごく目立ってましたよね。

桜井

ええ、本当に目立ってましたね。

どういうコンセプトで、あのようなデザインにしたんですか?

桜井

例えば高級なお酒とかお皿とかは桐箱に入っていたりしますよね。豪華なものが簡素な外箱に入っているような、そんな豊かさを出そうということで、ああいったデザインになりました。

それも糸井さんの発案で?

桜井

糸井さんの考えがキッカケになっているのは間違いないですけど、発案したのかどうかについては、ちょっとあいまいです。まあ、いろんな人の話のなかで決まっていった、という感じでしたね。

当時は『MOTHER2』をつくって、岩田さんと糸井さんの関係が密になっていたから、そういうアドバイスも受けられたりしたんでしょうね。

桜井

もちろんそうです。

ところで、『スーパーデラックス』の開発中に、岩田さんとの思い出があったりしますか?

桜井

実はあんまり開発上の接点がないんです。ほとんどほったらかしに近い状態で・・・。

岩田さんは当時、『MOTHER2』で忙しかったんでしょうか?

桜井

『MOTHER2』は先に完成しましたけど、やっぱり社長さんなので、本業のほうが忙しかったんだと思います。開発中に「あれしてくれ」「これしてくれ」と言われたこともなく、現場を完全に任せてもらえましたので、信頼されていたのだろうと思っています。

自由にしてもらうのがいちばん

さて、桜井さんは、ゲームをつくる人であると同時に、とてもたくさんのゲームを、ジャンルを問わず遊んできた人でもありますけど、今回のミニスーファミに収録されている21タイトルは・・・。

桜井

ほぼ全部クリアしているような・・・。

さすがです(笑)。『スターフォックス2』以外は、ということですね。

桜井

あ、『スーパーフォーメーションサッカー』(※12)はさすがにクリアしていないです。

※12 『スーパーフォーメーションサッカー』=1991年12月に、ヒューマンから発売されたスポーツゲーム。

その21本のうちの1本である『スーパーデラックス』を、どんなふうに遊んでほしいですか?

桜井

自由にしてください、と言うしかないです。というか、この際、無理に遊んでいただなくてもいいです。

(笑)

桜井

これだけのソフトがあるなかで、好きなものだけが遊べるということが魅力なので、自分がつくったものだから、「ぜひとも遊んでほしい」とまでは思わないですね。

なるほど。

桜井

例えば、『スーパーデラックス』を選ぶと、ゲームが選択できるコルクボードが表示されて、そこには2つのサブゲームがありますよね。

「刹那の見斬り」と「かちわりメガトンパンチ」ですね。

桜井

そのサブゲームというのは、短い時間で楽しめるものなのですが、この2本だけをちょっとだけ遊んで終わり、というだけでも充分です。そもそも『スーパーデラックス』というゲームは、それぞれの人たちが、それぞれの遊びかたで、好きなことを、好きなようにやる、ということも開発コンセプトのひとつなんです。だから、自由にしてもらうのがいちばんなんじゃないかなと思っています。

遊び手にお任せします、ということですね。

桜井

はい。プレイつながりで最後にもうひとつ。『スーパーデラックス』を放っておくと、いろんなゲームのデモがはじまりますけど、それを操作しているのは私です。

すると、25歳くらいの桜井さんのプレイが、そのデモで見られるんですね(笑)。

桜井

ええ(笑)。


全6回にわたってお届けしたミニスーファミ発売記念インタビューはいかがだったでしょうか?

ミニスーファミには21タイトルが収録されていますが、今回は8タイトルの開発裏話を聞くことができ、20年以上、任天堂の仕事に関わってきた私にとっては、本当に楽しいひとときでした。初めて聞くような話もたくさんありましたしね。

というわけで、「ミニスーファミ」もいよいよ発売です。桜井さんが言うように、それぞれの遊びかたで、自由に楽しんでくださいね。それでは!

©1995 HAL Laboratory, Inc. / Nintendo

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